最近思っていることがある。それは、求められていないところに行って、求められていないことを言うのは止そう。ということだ。
私が思うに、物事には段階というものがあるのだ。愚痴を言いたいだけの段階、ただ共感を得て安心したいんだという段階もあるんだろう。『プロカウンセラーの聞く技術・話す技術 | マルコ社』という私が最近読んだ本にも「アドバイスしようとするな」「いいことを言おうとするな」と書いてあった。”聞く””傾聴する”ということが大事なのだと。相談というものはしばしば相談の体を為したそれとは別のものであり、相談者の中でもう答えが決まっているということも多い。そういった時に、ただ教条的なアドバイスを喰らわされても煩わしいだけだ。
では”聞く””傾聴する”とは何か。相談された側は何をすればいいのか。難しいが、一つの方法論として『ソクラテス式問答法』というものがある。
例えば親子の会話で、子供に「朝起きられなくて寝坊しちゃった」と言われて親は「それは良くないね」「夜更かしせず早く寝なさい、わかったね」と諭す。これが先ほど話した教条的なアドバイスである。子供だって、寝坊が良くないことぐらいわかっている。早く寝たほうがいいのもわかっている。
対してソクラテス式問答法というのはこうだ。
今日、朝起きられなくて寝坊してしちゃった
そうか、どうして、朝
起きられなかったのだと思う?
昨日夜更かししちゃって…
何をしていて、夜更かしして
しまったんだろう?
プログラミングに熱中しすぎて、
気が付いたら夜遅い時間だったんだ
どうすれば、時間に気付いて
夜更かしをしないようにできるかな?
時間が来たら時計が鳴るように
セットしておけば気付けると思う
うん、じゃあ、今日は
それで試してみよう
こんな感じである。問題を抱えている人自身から引き出された対応策は、他者から頭ごなしに言われるアドバイスよりもずっと、その問題の解決に役立つ。自分のことは自分が良く分かっていると誰もが思っているし、基本的に他者から指図を受けたくはないのだ。
ちなみにこれは、台湾の新型コロナ封じ込め成功の立役者として真っ先に名前が上がるIT担当大臣、オードリー・タンの幼少時代のエピソードだ。彼女の親は、この手法を使って神童と呼ばれた彼女の天才性を伸ばしていった。
この『質問で返す』方法には他にもいいことがあるが、あくまで『共に考えていくという姿勢』の一環として行われなければならない。そして大事なのは『相手の話を聞くこと』だ。相手の話を最後までよくよく聞き、その背景までを理解していないと建設的な質問はできない。
『他人の話を聞ける人間』は重宝される。世の中には話したい人間の方が多いからだ。相手の話をろくに聞かないまま、相手の悩みに対して何かアドバイスをしても、それは単に教条的、言い換えれば表面的なものにしかならない。それでは相手には響かない。ただの空疎な時間になる。それで相手に何かしてあげた気になっても、結局後には何も残らない。私のことだ。
コメント
テレビでオードリーの話、見ました。共感とはなんぞやと改めて考えさせられました。
人の話を聴く力、人を知ろうとする力、人を楽にさせる力があなたにはあるように思えます。
場所さえ見つけられれば、必要とされるでしょうね。ぜひ切り拓いていただきたい!
小さき応援をお送りします。
そう言って貰えて心強い気持ちです。あなたの見立てが間違っていないところを見せたいよなぁと思います。「小さき応援をお送りします」っていいフレーズですね。ありがとう!